あれは2005年。
いや、2006年?
2004年だったかもしれない。
全然覚えていない。少なくとも今から20年くらい前のことである。
仙台ではジャズ・フェスティバルが開かれる。「仙台」を想像したときに出てくる脳内イメージの中で、政宗騎馬像、牛タン、(人によってはこの後にメディアテークが続く)に続いて出てくる、あの並木通り。あの通りは定禅寺通りという。そこをめいいっぱい使って、毎年秋に開催されるのだ。いつもはのんびりと時間が過ぎる平和な定禅寺通りは、ジャズフェスの時期はバンドと人でごった返す。
そんなジャズフェスを20年前、私は観に行ったような気がする。なにぶん20年前のことなので、記憶が確かではない。行ってないと言われれば行ってないかもしれない。
たしか両親と行った気がする。祖父母はいなかったが、単に祖父母が一緒にいたのを覚えてないだけかもしれない。そもそも母親か父親のどちらか片方といったのを「両親と行った」と記憶している可能性さえある。
なんだか晴れた春の日だったような記憶があるのだが、先述の通りジャズフェスは秋に開かれるのでそんなわけがない。もしかしたら春と秋の区別がついていないほど幼い頃だったのかもしれない。もしそうだとすると2003年ごろになるか。
まあ、何年かはどうでもいい。人がごった返す定禅寺通りと、商店街である一番町とが交差する付近で、とあるジャズバンドを見たような曖昧な記憶がある。あまりに曖昧なので、後々捏造されたものの可能性も十分ある。
いったい何の曲を演奏していたかは忘れた。最小3歳最大6歳の子供がジャズのスタンダードなど知っているわけがない。今口ずさめれば特定できるかもしれないが、私は演奏を一音たりとも覚えていない。
サックスがいたと思うが、何人編成のバンドだったかも忘れた。ハゲ頭の人は確実にいた。
演奏が一区切りついて軽妙なMCが始まる。MCで一笑いを取って機嫌が良くなったサックスは「何か弾いてほしい曲とかありませんか?」と、リクエストを募った。
すると父親はすかさず手を挙げ、
「『星に願いを』を!」
とリクエストしたのだった。
すると次の瞬間、バンド隊はまるで最初から予定されていたかのように「星に願いを」を楽し気に演奏し始めたのである。これがジャズなのだ。あらゆる曲を即興でこなす、この柔軟性、対応力、演奏の楽しみ……
……という話をよく父親から聴いていたので、多分これは実際にあった出来事なんだと思う。いや、この話をしたのは母親だったけか。
そしてそこに私もいたはずなのだが、私は一切覚えていない。
そもそも私はこのジャズフェスに行ったのだろうか?さっきから伝聞、推測、可能性の話しかしていない。ここまでで書いた唯一の確定情報は「仙台では毎年ジャズフェスが開かれる」のみである。
それに加えて、父親が観に行ったのもある程度確かなことだろう。そうでなければMCの逸話がでてくる理由がない。
問題は私が行ったかどうかである。間接証拠は出てくるのだが、自分が20年前にジャズフェスに行った記憶がほとんどない以上、行ったと言い切ることができない。故にこの時私が体験した(可能性が存在する)ライブの音楽的内容に触れることはできない。
ただ、私の曖昧なこの記憶には、漠然とした「楽しいなあ」という感情が結びついている。一体当時の私が何に楽しさを覚えたのか、どんな演奏を面白いと思ったのかは定かではない。もしかしたら演奏なんて全く関係なく、親が楽しんでいる様子を見て、子である私も「楽しいなあ」と感じたのかもしれない。
音楽をはじめとした芸術の目的とは、ある人に何かしらの感情を惹起させること、だと思う。ライブが終わり日常生活に戻った後も、その感情の欠片を持った状態で日々を過ごすことで、少しだけ世界に優しくなれたり、自分を強く持てたりするわけである。
私は20年前に体験した(かもしれない)このライブをほとんど覚えていないが、惹起された感情は長い年月を経てもまだ私の中に残っている。故にこの日私が見た(かもしれない)名も知らぬ音楽家たちの楽曲は、真の意味での芸術だったといえるだろう。

Water Walk編集長。2019年からネット記事に影響を受けた音楽ブログを執筆し、カルト的に話題に。2022年からは知人ライター達とnote上でWater Walkを設立。ここ数年は前衛音楽などの現代芸術を手本にした批評を制作、前衛的批評”クリティシスム”を提唱している。Sound Rotaryへの寄稿、KAOMOZINE編集など、外部でも精力的に活動中。
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