どうも、リサフランクです。
皆さん、川を知っていますか?

川(かわ)は、水が流れる細長い地形である。雨として落ちたり地下から湧いたりして地表に存在する水は、重力によってより低い場所へとたどって下っていく。それがつながって細い線状になったものが川である。河川(かせん)ともいう。時期により水の流れない場合があるものもあるが、それも含めて川と呼ばれる。
Wikipedia-川
そうです、川とはつまりそういうもの。
ぼくが説明したかった大体のことはWikipediaが言ってくれましたね。
ただし、この説明には少し穴があります。
それは小さいけれども絶対に開いていてはならない穴。
これから淹れようとしていた紅茶のティーバッグに開いてしまった穴のような、どんなに小さかろうとも致命的になり得る穴がそこに開いている。
そう、「川の名前は曲のタイトルに度々用いられる」という点である。

そうなのだ。
この記事を読んでくださっている方々の多くがこの指摘を受けて思い浮かべたであろう楽曲・かぐや姫「神田川」を筆頭に、実在する川の名前がそのままタイトルとなっている曲はそれなりに多い。
筆者がふと気になってSpotifyで検索してみたところ、神奈川・東京にエリアを絞っても計7つもの川が曲のタイトルとなっていた。
なぜこんなにも「川ソング」があるのか、これは非常に面白い現象である。
この川ソングたちを川ソングたらしめている要素は何なのだろうか。
その川の情景を歌った曲なのか、もしくはその川を舞台として何らかのストーリーが展開されるのだろうか。
なぜひとつの曲のタイトルがその川に託されることとなったのか、その理由が知りたい。
ならば、実際に川に行って、川ソングを聴いてみよう。
おそらく川ソングはその川に少なからずの思い入れを持っているような人によって作られている。
では、それぞれの川を自らの身体で感じ、実際に知らなければ、アーティストが曲に込めた想いを本当の意味で理解することはできない。
川ソングを理解するために、まずは川を理解しなくちゃ。
ということで、今回は先ほど触れた神奈川・東京エリアにおける7つの川へと実際に赴き、そこでそれぞれの川を体感しながら川ソングを聴いてみることにした。

レッツゴー、川!
1. 鶴見川

まず初めに訪れたのは鶴見川。
町田市上小山田町を源流として、川崎市を経由しつつ横浜市鶴見区まで流れる一級河川である。
ベッドタウンや工業地帯など、様々な街や生活圏を縫うように流れていく都市河川であるため、多くの人々にとって身近な川だといえるだろう。
かく言う筆者もかつてWater Walkの企画にてこの鶴見川の河川敷をランニングしたことがあり、非常に思い入れの強い川である。
今回川見スポットに選んだのはJR横浜線の鴨居駅から歩いてすぐの所に構えている鴨池橋の付近。
この橋はららぽーと横浜へ電車で向かう上で必ず通る場所であり、個人的に鶴見川=ここで見る川、というイメージがあったということからのチョイスである。
そんな鶴見川で聴くのは、「鶴見川」という曲です。
こちらは井坂海音という方による楽曲のようだ。
調べてみると、彼は川崎市出身のシンガーソングライターであり、この曲をリリースした当時は高校生だったらしい。
川崎市、ということは鶴見川のどこか流域周辺で生まれ育ったのかもしれない。
そんな彼は「鶴見川」という曲において何を歌ったのか、楽しみである。
それでは早速聴いてみよう。

…。
……。
………。
…なるほど。
これは鶴見川賛歌だ。
彼の半生とこの鶴見川は密接に結びついている。
土手のベンチで弾き語りをしたあの日、恋バナや将来の夢について友人と語らったあの日。
そうしたかけがえのない思い出の多くはこの川と共にあったのだ。
曲中で歌われる「太陽を照り返した月が 汚れた川の水面で まじって揺れているような 静かな人生だけど」というフレーズも象徴的である。
鶴見川は、今でこそそのようなイメージも払拭されつつあるものの、かつてはかなり水質のよろしくない川だった。
特に河口付近については工業地帯が近いためかその傾向が強く、井坂さんの見ていた鶴見川は筆者のいま見ている鶴見川よりも汚れていた可能性が非常に高い。

しかし、その上でも彼は「ここで生まれてよかった」と締めくくるのである。
これには非常に共感してしまった。
というのも、筆者にとって身近と言える横浜駅付近を流れる川・帷子川もまた、もはやドブ川と呼んでも差し支えないくらいに汚染された川だったが、それでも私はあの川を愛しているからだ。
学生時代、下校時によく帷子川を眺めていた。当時は嬉しいこともあったし、嫌なこともあった。
そのためか、今でも帷子川を見ると色々な感情が溢れ出てきて、言葉に表しようにない不思議な気持ちにさせられる。
おそらく井坂さんにとっての鶴見川も同じような存在なのではないか。
川はそこに流れ続け、個々人の様々な思い出のハブとなり続ける。
水質や環境は綺麗な方が望ましいというのは間違いないが、どんな川だろうとその偉大さは揺るがないのである。
2. 相模川

次に訪れたのは相模川、山梨県の山中湖と忍野八海を水源とする一級河川である。
そんな流域の広いこの川を、筆者は水郷田名という場所から見ることとした。
かつては渡船場、宿場町として栄えた町だという。
ちなみに少し話が脱線してしまうが、なぜ水郷田名に来ようと思ったかというと、地図アプリで最適スポットを探していたところ、この町に『相模川ふれあい科学館 アクアリウムさがみはら』などという、とても気になる施設を発見してしまったからだ。

この施設はその名の通り相模川流域に生息する様々な生き物(もちろん魚中心だけどネズミとかもいる)が展示されている水族館であり、これが非常に面白い。
相模川という川ひとつにここまで多様な生き物が生息しているということ自体にも驚いてしまうし、床下が水槽になっていてその上を歩くことのできる「水上散歩水槽」や、源流から河口までのそれぞれの流域における生き物や環境の違いを一目で理解することのできる「流れのアクアリウム」など、展示の仕方がよく凝らされており、かなり見応えがあった。
入館料についても大人450円とかなり良心的なので、ぜひ行ってみることをお勧めする。
さて、そんな素敵な施設で相模川についての理解をいい感じに深めた後、実際の相模川を見ながら聴くのは、「相模川」という曲です。
こちらは山田電子という方によってリリースされた曲のようだ。
どういったアーティストなのか、試しにウェブ上で検索してみたものの、ヒットするのはヤマダ電子工業とヤマダデンキのHPだけだった。
少なくともジャケットを見る限りでは、「相模川」というタイトルにはおよそ似つかわしくない雰囲気である。
とにかく曲自体を聴いてみないことには始まらない。
この曲はどんな川ソングなのだろうか。
聴いてみることとする。

…。
……。
………。
…ん?
なんだこれは?
全然、“川”を感じない。
「山田電子」という名の通り電子音楽だが、何やら妙に不穏だ。
ジャケットを見た時に覚えた違和感そのものみたいなミスマッチなサウンドが鳴っている。
それは例えるならサイバーパンク的世界観のSF作品に出てくる廃れたアーケード街のような光景を想起させる音楽である。
尺が53秒ととても短いのも不思議だし、途中で差し込まれるチップチューンのフレーズも謎。
何にしても、今この目で見ている相模川の風景とは遠くかけ離れた作風である。
ていうかジャケットの時点で薄々予想できてたけど、これってもしやAI作品では?(違ったらごめんなさい)
少なくともこれは相模川そのものをテーマに作られた楽曲ではないということだけは確かであり、つまりそれは「相模川」が川ソングでなかったことを意味する。
川の名前が付けられた曲=川ソング、というわけではないのだ。勉強になった。
まあ、「相模川」自体が川ソングではなかったとしても、この人がこの曲のタイトルを何にしようか考えた末に頭に浮かんだのが相模川だったのだということは確かなのである。
あの日見た川はいつだって我々の心の中を流れ続けるのだ。
3. 多摩川

次に訪れた川は多摩川。
神奈川を代表する川はこれにて全制覇といった感じである。
川見スポットに選んだのは二子玉川駅から歩いてすぐの河川敷。
ここは昔散歩で来たことがあって印象に残っていたためチョイスした。
鶴見川に引き続き個人的な思い出から場所を選んでしまったが、よくよく考えてみると「この川といえばこの場所」というのが自分の中に存在しているのは面白い。
多摩川に関しては全長138kmもの長い流路を経て源流から河口へと注いでいくわけだが、そこではそれぞれの流域の付近においてそれぞれの人々が暮らしており、またその人々はおそらくそれぞれが「この川といえばこの場所」というのを何となくイメージとして持っているわけである。
そしてイメージする場所が違えばイメージするその川の雰囲気も異なるはずであり、ただ一言で「多摩川」と言っても、その“多摩川観”は人によってずれがあるどころか、場合によっては全く異なる可能性すらある。
そう考えると、川ソングというのはつまり「そのアーティストにとっての“○○川観”」というのが表現されているものとして聴くことができるのかもしれない。
そんなことを思いながら多摩川で聴くのは、「多摩川」という曲です。
こちらは誰しもが知る国民的バンド、スピッツの楽曲。
1993年リリースの4thアルバム『CRISPY!』に収録されており、おそらく一回は聴いたことがあるはずなのだが、正直どんな曲だったか全く思い出せない。
果たして彼らは「多摩川」でどんな音を鳴らしたんだろうか、どんなことを歌ったんだろうか。
それでは早速聴いてみよう。

…。
……。
………。
…なるほど。
想像していたような感じではなかった。不思議な曲だ。
何となくレッド・ツェッペリンの「天国への階段」を想起させるようなギターアルペジオをバックに草野マサムネがしみじみと歌い上げており、その歌声は強めのリバーブに包まれて少しぼやけた感じである。
歌詞を見てみると、「風の旅人」「水面の妖精」といった幻想的な雰囲気のフレーズが用いられ、多くは語らない抽象的な作風となっている。
率直に言ってしまえば、いわゆる“スピッツ”らしい音楽とは毛色が違うような印象を受けた。
では川ソングとしてはどうだったかというと、なんだかものすごく面白い体験をした。
歌詞に「蒼白き多摩川」とあるので、もしかしたら草野マサムネが思い浮かべているのは夜の多摩川の光景で、いま筆者が見ている夕日に照らされた多摩川とは全く異なるものかもしれない。そもそも、1993年と2025年とでは色々と景色や環境も変わっているはずである。

しかし、目の前でずっと流れている川を見ながらこの曲を聴いていると、そのような時間をも超越して、「当時の草野マサムネが見ていた多摩川」と接続されたような気持ちになった。
個人的な解釈であるが、この曲では“ノスタルジー”について歌われているような気がする。
川を眺めていると時間感覚が曖昧になってくる。
川というのは何十年、いやひょっとすると何百年、何千年もの間、時に流域を変えることはあれども、基本的にはいつだって変わらずそこを流れ続けるものであって、川からしてみれば時間などといったことはさして関係のないものである。
そのような壮大さを無意識のうちに感じ取るからか、川を前にすると現在だとか過去だとか、そうした認識がフラットになっていく。
そんな時間から解放されたこの多摩川を通じて、いま筆者と草野マサムネは隣り合わせに座り、水面に少年時代の思い出を幻視しているのである。
川というのはなんと奥深いのだろうか。
こんな面白い体験をさせてくれてありがとう、スピッツ。
4. 神田川

次に訪れたのは満を持しての神田川である。ついに東京へと足を踏み入れた。
神田川はかの井の頭池を源流とした一級河川であり、新宿区や中野区といった東京の中心部を全区間にわたり開渠として流れて最終的には隅田川へと合流するという、いかにもTHE・東京の川みたいな川である。
川見スポットに選んだのは神田上水公園。
色々な所から見られる川なのでどうしようか迷った末に、マップアプリで検索して一番語感の良いこの公園へと赴くことにした。
しかし初めてこの神田川を意識して眺めているが、今まで見てきた川と比べると非常に規模が小さい。
控えめに人々の生活に寄り添うような感じで流れていて、なんだかちょうどいい。
そんなことを思いながらこの神田川で聴くのは、「神田川」という曲です。
満を持して登場、言わずと知れた川ソング・オブ・川ソング。
ちょうどついこの間、2024年の紅白歌合戦でも歌われていた。
作詞作曲の両方とも南こうせつが担当していると勝手に勘違いしていたが、クレジットを見てみたところ、どうやら作詞については喜多條忠によるものらしい。
流石にこの曲については聴いたことがあるが、果たして実際の神田川を見ながら聴いてみるとどのようなことが起こるのだろうか。早速聴いてみたい。

…。
……。
………。
…なるほど。
なんだかすごくしっくりときた。
この曲では今や懐かしきかつての恋人との暮らしについて歌われている。
神田川沿いの三畳一間の風呂無しアパートで生活する男女。
描写される範囲が非常に小規模で、まるでこの川の在り方そのものを表しているかのような曲だ。
これが多摩川や相模川の沿いに住む男女の歌であれば、川のスケールに合わせて描写されるスケールももう少し大きくなっていたような気がする。
神田川が神田川であるゆえに、「神田川」は「神田川」なのである。
この川を眺めながら曲を聴いている時、妙に象徴的な光景を見た。
初めは仲良く一緒に泳いでいたカモの2羽のうちの片方が、見た目に反して意外と急な水流に流され、どんどん遠くへと下っていってしまったのである。

このカモたちはきっと別れようと思って別れたのではない。
知らない間に自然と、結果的に別れていたのだ。
「神田川」における男女もおそらくそんな感じで遠ざかっていったのではないか。
実際の川を見たことで随分と曲への理解が深まったような気がする。
やはり実物を体感するというのは大事である。
5. 江戸川

次に訪れたのは江戸川、利根川水系の一級河川である。
個人的にはあまり縁のない川で、こうして実際に河川敷へと赴いたのは実は初めてかもしれない。
川見スポットに選んだのは小岩菖蒲園付近。
オフシーズンであるためショウブ自体は見られなかったものの、何やら面白いつくりをしている庭園だったので、これは6月頃に行ったら非常に面白そうである。
河川敷には凧揚げを楽しむ親子がたくさんおり、地域住民から親しまれているのだろうという印象を受けた。
そんな江戸川で聴くのは、「江戸川」という曲です。
こちらは徳力洵というシンガーソングライターの方によってリリースされた楽曲のようだ。
非常にシンプルなジャケットである。
調べてみると高円寺などで音楽活動を行っている方のようだが、そんな彼は「江戸川」でどのようなことを歌っているのだろう。
早速聴いてみたい。

…。
……。
………。
…なるほど。
なんだかとても沁みた。
アコースティックギターの弾き語り形式で歌われるこの曲には素朴な魅力があり、東京の川の中でも特に下町的なムードのあるこの江戸川にマッチした作風だと感じられた。

この曲で歌われているのはいつかの思い出について。
「誰もいない江戸川」「月の光」ということで、これもおそらく夜の静かな江戸川をイメージして作られた曲だと思われるが、やはりこの川を通じて歌の向こう側の情景が見えたような気がした。
無情にも、あるいは優しくも止まることなく流れ続ける川は、度々「人生」のメタファーとして用いられる。
私たちは様々なものを得ては失い、それを死ぬまでとめどなく繰り返していく。
気付けば源流ははるか遠くへ、景色も目まぐるしく変わっていく。
そんな抗いようのない大きな流れの中に生きる中で、ふと単純に、今日というこの日、この瞬間だけを切り取って考える。
何を忘れてしまったか、これから先何を忘れていくかなんてことはさておき、ひとまず私が今を元気に暮らせていることについて目を向ける。
そして願う。いつか分かれたあなたも私と同じように、どこかで今を元気に暮らしていることを。
そんなことがここでは歌われているように感じた。
色んな川ソングを聴くにつれて、色んな川の側面を知ることができる。
次の曲ではどのような“川”を知れるだろうか。
6. 荒川

いよいよ残す川もあとふたつ、次は荒川にやってきた。
ここは実は人工的に作られた河川であり、元々は荒川の洪水防止用に分岐した「荒川放水路」だったらしいが、色々あって今ではこっちが本流扱いされて「荒川」と呼ばれるようになったようだ。東京の川、ややこしいよ!
荒川についてもそこまで縁のない川ではあるが、中学時代にアニメ『荒川アンダーザブリッジ』を視聴していたため、江戸川よりかはいくぶん親近感がある。
ここでの川見スポットに選んだのは堀切駅から少し歩いた所の河川敷である。
一度も降り立ったことのない駅かと思いきや、着いてみるとなぜか見覚えのある駅だった。
筆者には放浪癖があるため、おそらくいつか気まぐれで来たのだろう。
あの時は大して注目していなかったが、こうしてちゃんと見てみると覚えていた以上に大きな川だ。
そんな荒川で聴くのは、「荒川」という曲です。
こちらはおストロースというユニットによる楽曲である。
曲名に反し、ジャケットの写真は海岸のように見える。
荒川は最終的に東京湾へ注ぎ海へと交わっていくわけだが、そうした終着点について光を当てた楽曲なのだろうか。
だとすると川ソングとしては斬新かもしれない。
それでは早速聴いてみよう。

…。
……。
………。
…なるほど。
今までのとはまた毛色の異なる楽曲である。
とても良い曲だ、すごく好き。
静けさのあるアンビエント的なサウンドと、力の抜けた女性ボーカル。
電子音楽だけど温かみがあり、ちゃんと血が通っているような感じがする。
では川ソングとしてはどうだろう。
歌詞に目を向けてみると、ある二人の終わりゆく関係について歌われている。
それは流れる川に表され、「絶え間なく どこかの湾まで 続いてる」「遠く 遠く 来たことを思い出す」と、“不可逆”を強く意識させる描写が散りばめられる。
川は海へと注ぎ、それ以降川へと戻ることはない。
かつて淡水だったそれは、河口に近付くにつれ次第に塩を含みはじめ、最終的には紛れもない海水となる。
そう考えてみると、川ほど不可逆的なものはないかもしれない。

今までの川ソングが中流域あたりから鳴っている音楽だとすれば、この「荒川」は河口も河口、川が海へと変わる直前の汽水域から鳴っている音楽なのだろうか。
そう考えてみると、ジャケットの写真が海だったことにも何となく納得がいった。
7. 隅田川

ついに最後の川、隅田川へとやってきた。
歴史を遡ってみるとこちらが本来の荒川であるが、先ほど書いたとおり「荒川放水路」に本流としての立ち位置を取って代わられ、結果的に隅田川になってしまったらしい。
隅田川については、個人的には東京の川の中で比較的最も馴染み深く感じられる川かもしれない。
毎年花火大会が催されていてよく名前を見るし、東京屈指の観光地である浅草とスカイツリーを隔てるような形で流れているため、東京都自体に馴染みがなくそこまでの頻度で来ない人間としては神田川とかよりもこういう川の方がむしろ親近感を感じる。
そういうわけで川見スポットに選んだのは浅草である。
少し前に「それぞれの人にとって“この川といえばこの場所”みたいなのがあるんじゃないか」ということを書いたが、隅田川についてはそんな“この場所”の認識が人々の間で最も一致しやすい川といえるかもしれない。
そんな隅田川で聴くのは、「隅田川」という曲です。
こちらはロックバンドのamazarashiがリリースした楽曲である。
彼らにとってはメジャーデビュー作となるミニアルバム『爆弾の作り方』に収録されたこの曲も、おそらく聴いたことはある気がするのだが、いまいちどういう感じだったか覚えていない。
しかしそれも川ソングとして聴くには新鮮味がありむしろ好都合。
ということで、それでは聴いてみよう。

…。
……。
………。
…なるほど。
隅田川っていうより、隅田川花火大会のことについて歌われているな。
「朱色の影絵」とか「火影に群がる虫」とか、花火を想起させるようなフレーズが頻繁に出てくるし、サビではもはや「隅田川花火が咲いて 散るまでには会いに行きます」とストレートに歌われている。
その一方で、川そのものに関する描写は一切ない。
“川面に反射した煌めきが~”的な、そういうのも一切ない。
これは果たして川ソングと呼んでいいものなのだろうか。
…いや、これはこれでありかもしれない。
川を語る上では、そこで開かれる“祭り”の存在についても無視することはできない。
川とは人々に親しまれ、崇められ、畏れられる偉大な存在であり、その愛を、そして信仰を一身に受け入れてきた。
“祭り”とはその人々の想いが生み出すものであって、そこで起こる喧騒も元を辿ればある意味で川から生まれたものだといえる。
そんな温かな賑わいの場としての側面にフォーカスし、そこでの人の心の揺れ動きを描いたこの曲も、言ってしまえばオルタナティブな川ソングと呼ぶことはできるのではないか。
それにしても、筆者も意図せずしてまさに花火大会の会場となる地点から「隅田川」を聴いているわけなので、やはりお馴染み川見スポットとしての浸透具合がすごい。
こうも人々にひとつのイメージを植え付けている花火大会もすごいし、そんな花火大会を開けるだけの“パワー”を持っている隅田川もすごい。

隅田川、すごい。
気付きとまとめ
7つの川に行き、そこでそれぞれの川ソングを聴くことで、ただ家で聴いているだけでは分からなかったであろう様々なことが知れた。
まず、今まであまり気にして見たことがなかったけど、川ってそれぞれ印象が全然違う。
神田川については他と比べると規模感が小さかっただけにより顕著だったが、川そのものの印象の違いに併せて川ソングの印象も違っていて非常に興味深かった。
あと、「川」というのをテーマにした楽曲という部分については共通していても、そこでフォーカスされる側面がそれぞれのアーティストで明確に異なっていたことも聴き比べていて面白いポイントだった。
川はある人にとって「自らの生涯と共に在るもの」であり、また他の人にとっては「『人の一生』を想起させるもの」でもあり、そしてさらに他の人にとっては「恋路と重ね合わせるもの」でもあった。
これについては川という存在の多面性を感じざるを得なかった。
しかしその一方で全ての川ソングに共通していた事柄がある。
それは川から何らかの思い出を連想しているという点だ。
少年時代の思い出、恋人との思い出、あの日の思い出。
それぞれ形式や内容は違えども、そうした個人的な思い出を川から連想していたという点においてのみ、川ソングは共通していた。
これについての要因はよく分からないのだが、個人的な見解としては、やはり川というのが人々の生活に寄り添い、基本的にはそこを動かずに流れ続ける存在であるからなのではないかと思う。
また、川は山や海と比べて小規模な自然であり、大勢の人々を一塊には括らず、個々人を個々人として見守ってくれているような印象を受ける。
あるいは、山や海は壮大すぎて眺めていると自分がちっぽけに思えてくるが、川についてはなんだか自分と対等に向き合ってくれているような気がする。そういう身近さがある。
そのような存在であるからこそ、人々はそれぞれの思い出を川に託し、そこにノスタルジーを見出すのかもしれない。
それにしても、「川の名前がタイトルになっている曲」として必ずひとつは演歌が入ってくるであろうと予想していたが、意外にも違っていた。
とはいえそれはあくまで神奈川と東京の、さらにSpotifyで配信されていて、さらに筆者の検索に引っかかった曲の中ではそうだったというだけの話であって、他の地域やサービスで同じようなことをやったら全く違う傾向や結果が出てくるはずなので、これを読んで気になった方がいればぜひ試してみてほしい。
それでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。
【参考文献】
・神奈川県高校地理部会編『かながわの川(上・下)』、 神奈川新聞社、 1989
・鈴木理生『江戸の川・東京の川』、井上書院、 1989

音楽と同じくらい散歩が大好きだが、そのせいでコンバースのかかと部分によく穴が開き、落ち込む。『脱字コミュニケーション』というポッドキャストもやっています。
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