カラオケでは、「異邦人」をよく歌う。
概要欄によると、「1979年発売されミリオンセラーを記録した、日本歌謡史に輝く久保田早紀の名曲」だそうだ。
私にとっては、「親のCDに入っていて好きになった曲。曲調もリズムも歌詞も全て好み。テンポや音域などからして、音程が合わせやすいはずなのに、カラオケではなぜか90点を超えたり超えなかったりなので(朽羊歯ゾーンは90点を1つの目標としています)毎回挑戦してしまう曲」である。
「シルクロードのテーマ」というサブタイトルがあるように、エキゾチックな曲調で失恋を描く。鈴の音が神秘的だ。マイナーキーと隊商の行進を思わせるリズムで、胸にずんと響く悲しみの色を通して町を見ている。それなのに、Bメロは突然視界がぱっと開けるような開放感。どこからともなく現れた、薄くて白いシルクの布地が、青空と砂漠を見晴らす視界の端に美しくゆらいでいる。
よく考えれば、悲しい日に景色のきれいな場所に行くと、私はこうなるような気がする。ほとんどの風景は、思考が織りなす絶望の低いベース音とともに流れていくのに、美しいものは普段より色鮮やかに見える。
「あなたにとって私 ただの通りすがり」という歌詞が切ない。現地の人とゆきずりの恋をしたのか、あるいは短くとも(主人公側は)真剣な交際だったのか。自分の国での失恋を忘れるための旅行のはずが、現地の風景が自身の恋愛と重なって見えるというストーリーも考えられる。
「あとは哀しみをもて余す 異邦人」というふうに、もて余す時間の存在に言及して終わるのも好きだ。その時間が一番何もできずにつらいのに、忘れないといけないと思ううちに存在すら否定してしまう時間なのだから。
というわけで、本題に入ろうと思う。
「パワー異邦人」の話だ。
パワー異邦人
さあ、パワーである。
サムネイルの雰囲気からもおわかりいただけるだろうが、YouTubeが見られる環境の方は、今再生してみていただきたい。パワーである。今の今まで、歌いだしを「こン゛どン゛もたちが」だと思っていたくらいだ(念のため耳をそばだててみたら違った。こぶしではなくがなりだった )。
これは「デラックス×デラックス」というバンドによるカバーバージョン。歌謡曲をルーツに持つ曲調と、演奏者4人で555kgの体重(それに加えてダンサーが3人いる)を売りとしているヴィジュアル系バンドだ。マツコ・デラックスとは一切関係がない。
突然この動画が流れてきた日、笑ったか呆然としたかは忘れたが、私は衝撃を受けた。こんなカバーがあっていいのか。原曲の雰囲気と真逆じゃないか。
しかし、慣れてくると妙に納得してしまった。はらはらと涙を流すだけが失恋ではない。悔しさのあまり地団太を踏み鳴らし、怒りに任せて声を張り上げるような失恋もあるのではないか。
鳥や雲や夢までもつかもうとしている子供たちが気に入らない。自分とは程遠い世界だ。それがわかっていなかった自分にも苛立つ。すべてが皮肉に見え、もて余した悲しみが1秒でも早く過ぎ去るよう、力いっぱい怒りに身を任せる。私にはそんな女性が見えた。
きっとこの日は馬鹿でかいハンバーガーを食べるだろうし、1人カラオケで喉をつぶすだろう。道端で叫びださないよう、ありえないぐらい硬いグミを3袋買って、家に着くまで噛みまくる。家に着いたらタバコを吸いまくる。
人間には多面性がある。原曲のようにしっとりと悲しみに浸りたい自分も、デラックス×デラックスバージョンのようにがなり飛ばしたい自分も、どちらも本物だ。
カラオケにおいては、1番は繊細に歌い上げ、2番は怒りに任せてわめき狂いたい。ただし、急にやるとおかしくなったと思われそうなのが難点である。突然曲調が変わるような伴奏があるといいのだが……
パワーさくらんぼ
あった。
別の曲ではあるが、そういうのがあった。
甘くてかわいらしい声で歌うパート(これはまあ原曲通り)と、低音のメロディやデスボイスやシャウト(原曲にはまったくない)が交錯する。驚くことに、同一人物(しかも男性)がやっているそうなのだ。
これも、YouTubeで突然流れてきて衝撃を受けたカバーだ。違う点があるとすれば、特に納得はいっていないということ、そして多分ネタでやっているということだ。
しかし、かっこいい。
どんなジャンルにおいても、「あれもこれもできる」という状態に憧れる人間なのだ。真逆の性質の声が出せる人は尊敬する。(自分も練習したことがあるからだ)。
2番のAメロが短調になっているのも、ダークな雰囲気でかっこいい。恋愛への恨みすら感じる(恋人ができたらすぐに忘れるタイプの恨みだと思う)。
パワー埴生の宿
そういえば、中学の頃、こんな曲も聴いていた。
意味不明な言葉(「適当アドリブめちゃくちゃ語」と呼ばれている)で歌うバンド「B-DASH」による、イングランド民謡のカバーだ。
他の曲の歌詞には「ア圖リス POW When 鳴れっセイ」「それ金利ぽってこ ぴあ券でぽってこ」などがあるが(私はこれで「圖」の読み方を覚えた。ただし今この字を出すために調べたら違った)、「埴生の宿」にはちゃんと歌詞に意味がある。粗末な家だが素晴らしい場所だ、という内容だ。
「埴生の宿」という唱歌があるのは知っていたが、ちゃんと聴いたのはこのカバーが初めてなので、私にとっての埴生の宿はこれである。
原曲をちゃんと聴いたらとてもしっとりしていた。
パワーマンマミーア
さて、そんなパワー系カバーだが、最近もう1つ見つけた。
原曲はABBAの「Mamma Mia」だ。ABBAも親のカセットテープで知ったグループで、かなりいろいろな曲を聴いた。
演奏はSmokey Bastard。この曲で知ったし、これ以外の曲は知らない。イギリスのレディングという町を拠点とするフォークパンクバンドとのことだ。
歌いだしの勢いに笑った。ピアノのグリッサンドを皮切りに、疾走感のあるギターとざらついた声質の「I’ve been cheated by you!」である。テンポも原曲より速い。
もしやと思って、Spotifyで「ABBA rock cover」で検索してみた。
あった。
ABBAはスウェーデンのグループである。スウェーデンと言えば北欧、北欧と言えばメタル。みんな叫ぶわ叫ぶわ。関係ないかもしれないが。
中でも最高だったのは、Smoke On The Waterとのマッシュアップである(なんとこれもMamma Miaだ)。
Mamma Miaの特徴的なポコポコというイントロが神妙に流れたのもつかの間、突然「デッデッデー デッデッデレー」と攻撃的なギターに切り替わる。言わずと知れたSmoke On The Waterのイントロである。その雰囲気の中、ギターをバックにMamma Miaを歌い切り、また「デッデッデー デッデッデレー」。
こんなことをする人が、ハッチポッチステーションのグッチさん以外にいるのか。
なお、本家のSmoke On The Waterをちゃんと聴いたことがなかったので調べたところ、「デッデッデー デッデッデレー」の後に脳内に流れたのは童謡「一週間のうた」であった。これはグッチさんがSmoke On The Waterとマッシュアップしていた曲である。
まだまだあるぞ、ロックカバー
ABBAのカバーを調べた際、他にも洋楽のロックカバーを検索してみた。
これが、山ほどあるのであった。
考えてみれば当然だが。
(ちなみに、ロックに限らず、ユニークなカバーを集めたプレイリストも発見した。パワー系だと、テトリス、ポーレシュカポーレとカチューシャのマッシュアップ、パワーそうでパワーじゃないちょっとパワーなミセス・ロビンソンなどがあったことを書き添えておく。)
1つ1つ触れていてはキリがないので、Call Me Maybeにシャウトが入るととんでもないことになるということだけ書かせてほしい。
「これ、私の番号! よかったら電話してね!」というのがサビの、かわいらしい恋の歌が元ネタなのに、こいつの番号は絶対に受け取りたくないという思いが先行する。
電話しなかったら次に会ったとき「なんで電話くれなかったんですかああぁぁぁぁぁ」と地の果てまで追いかけられそうだし、電話したら電話したで「イエエエエエエェェェェイ!!!!」とパンクロックサンシャイン池崎に変貌するだろう。意外と礼儀正しそうではある。地の果ての崖っぷちで「彼氏がいるので」とおびえながらついた嘘に、「そ、そうでしたか……ごめんなさい……」とあっさり引き下がる(帰宅後パンクロック小梅太夫にはなる)。彼は純粋なのだ。やり方が間違っているだけで。
「And all the other boys try to chase me(男の子はみんな私を追いかけるんだけど)」の「boys」が「girls」になっている(おまけに「f*cking」まで入っている)のが小憎らしいというところで、終わりにさせてください。

七色の奇声を持つ一般人。広く浅く好きな曲を集めたプレイリストを聴くので、千本桜と小フーガが続けて登場したことがある。
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