近年は批評をあまり発表していない大井氏。そのため若い音楽ファンには彼のことを知らなかった方も多いかもしれない。
今回この記事を作るにあたって彼に連絡を取ってみたところ、なんと新作の批評を書きおろしてくれることに。比較的近年のアルバムから国内外の作品を1作づつ選んでもらい、批評を書いてもらった。現代の若いリスナーにも是非大井ワールドを体験してもらいたい。
Schlagenheim
自由な即興のようでありながら、実際には極めて緻密な計算の上に成立している。つまり、これは「制御された無秩序」である。
本物の混沌とは、意図しない結果や無意識下での表現が生まれることである。ダダイズムの芸術家やアクション・ペインティングなどはそれを目指した。私が過去に0点を付けたフリージャズも、少なくともその「意図しない結果」を目指す姿勢は持っていた。しかしこのアルバムは、計算の範囲内で「意図的な異常」を演出する。それは根本的な意味での破壊には至らない。それは我々が良く知る秩序の範囲内に収まる。これは以前「Trout Mask Replica」へ私が指摘した点によく似ている。
結局のところ『Schlagenheim』は現代の音楽が持つ「実験性」の枠内にしっかりと収まり、リスナーが期待した通りの「新しさ」を提供したにすぎない。破壊は予測された瞬間に破壊であることをやめる。0点。
See-Voice
ここには洗練された美しさがある。しかしそれは懐古の快楽を提供するための設計にすぎない。
ノスタルジアとは芸術の死である。Vaporwaveはノスタルジアを逆説的な虚無的破壊として用いていた(尤も、これも意図的な破壊である以上評価できない)わけだが、今や「レトロフューチャー」という装飾を与えられ、消費しやすい形に最適化された。それはもはや意図的な破壊でさえない。
ジャケットのバブル期の建築が表しているように、この作品が提示するのは「未来のように見える過去」である。過去を美しく再構築し心地よく響かせる。ここを面白がる向きもあるが、私は音楽の停滞であると考える。0点。

Water Walk編集長。2019年からネット記事に影響を受けた音楽ブログを執筆し、カルト的に話題に。2022年からは知人ライター達とnote上でWater Walkを設立。ここ数年は前衛音楽などの現代芸術を手本にした批評を制作、前衛的批評”クリティシスム”を提唱している。Sound Rotaryへの寄稿、KAOMOZINE編集など、外部でも精力的に活動中。
コメント